ひとりごと。

夢の話です。

この半月ほど、繰り返し、見ている夢。

父の夢です。

父は、50代半ばで、すい臓がんのため、亡くなりました。

典型的な仕事人間で父親とは、あまり話した記憶がないほど。

手術するまで、まさか、あんなに早く逝ってしまうような病気だと思わず。

亡くなってから、もっと話しておけば、よかったなといまだに思っています。

母は、40代後半から一人。

あの、わがままで、自分中心の考え方は、やっぱり、父という、つっかえ棒がなくなったせいかも。

 

母の自宅マンションに行った時に、父の声が聞こえてきました。

「ここに居場所がない」と言うのです。

私、昔から、「そういう声」「そういう空気」「そういう気配」を比較的、感じる方だったので、さほど驚きもしませんでした。

父の居場所…。

私には、「仏壇」が存在する意味がよくわかっていないのですが、以前、菩提寺法主さんにたずねたら、「お寺への入り口」だと言われました。

毎日、お寺には、来れないから、おうちに「お寺の入り口」があるのだ、と。

そして、その入り口の先には、お寺があり、そこには、仏さまがいらして、会話ができるのだと教えてもらいました。

実は、母は、ここ数年、毎年、救急搬送→入院→退院→老健or無理して帰宅を繰り返していました。

そのたびに、少しずつ、認知症が進んでました。(妹は、認めませんが。)

で、去年、帰宅前に突然、リフォームをしろ!と言い出しました。

もったいないから、と話しましたが聞く耳、持たず。

長年、お世話になっている大工さんも会いに来てくれて、説得するも失敗。

妥協案として、母の普段いる和室のリフォームだけ、することにしました。

次の要求は、「仏壇を処分しろ!」でした。

これも聞かないので、菩提寺に相談しながら、仏壇屋さんに引き取ってもらいました。

ま、帰ってきた母は、ご満悦でしたが。

その後、妹が言うには…。

なんと、母は、父の位牌をごみとして、捨てたと言うのです。

 

こんな経緯から、父の居場所がなくなった、というのも、理解できるような気がしました。

 

夢の中で、父は、「居場所を探しに行ってくれ」と言います。

言われた山に、いつも助けてくれる友人の車で2人で向かいました。

山道は、険しくてどんどん狭くなっていきました。

頂上に着くと、木も草もなく、だだっ広い空間に黒いシルエットがたくさん見えました。

そ、捨てられた仏壇がいくつも、積み重なっていました。

なのに、なぜか、うちの仏壇は、すぐに見つかりました。

でも、重いのです。やたら重いのです。

夢の中でも、私は、やはり膝が悪くて、友人が車まで運ぼうとしてくれますが、重くて動けません。

どこからか、ロープを持ってきて、背中にしょってくれました。

ところが、大きすぎて、車に入りません。

友人が「背中が熱い。」と言い出しました。

見ると、背中が一面、やけどしてるのです。

私、なんだか、背負える気がして、しょってみました。

よたよたですが、歩けました。

しかも、背中は、熱くもなんともない。

車には、載らないので、とにかく歩いて山道を下ることにしました。

すると、背中から、父の声が。

「背中が熱い。熱い。」と。

慌てて、振り返ろうとすると、目が覚めるのです。

一晩に、同じ夢を繰り返し、見ました。

週に数日、同じ夢を見ました。

 

先日、施設の衣類を冬ものに替えるため、母のマンションに行きました。

すると、いろんなものが倒れているのです。

これは、現実。夢じゃないんです。

まるで、大きな地震でもあったかのように。

玄関の下駄箱の上の物がたたきに落ちていたり。

倒れそうもないミニテーブルが倒れていたり。

重たいマガジンラックがそのまま、倒れていたり。

一番びっくりしたのは、キッチンの流し。

流しに、誰かがぶちまけたかのように、棚に置いていたものが散乱してました。

流しの外には、何もこぼれず、流しの中だけに。

 

部屋の中で、あちこちで、父に話しかけてみました。

でも、気になるので、お墓参りしてくることにしました。

なんせ、神奈川の鎌倉なので、関西から行くのは、大変なんですが。

しかも、山を切り開いた霊園なので、階段が多いのですが、頑張ってきます。

父も喜んでくれるであろう、私の大切な人の写真を持って。