叔父が亡くなりました。

3年前の春に、一緒に叔母を見送った叔父が亡くなりました。

しかも、私が旅行中に。

最後を看取ってあげることができませんでした。

それだけが、心残り。

 

叔父と叔母には、子供がなく、たぶん、親戚の中では、

私が一番かわいがられてた、と思います。

 

4年前に、叔母が脳こうそくで倒れ、1年間の植物状態のまま、

3年前に亡くなりました。

叔父は、叔母の三回忌を待って、老人ホームに入所しました。

男子、厨房に入らず…という世代の人ですから。

叔母が倒れてからの、3年間、食べるだけでも、大変だったはず。

よく、がんばりました。

そのせいか、ホームの食事がおいしい!と、いつも言ってました。

一国一城の主が集う、老人ホーム。

それなりに?それなり以上に?人間関係は、大変だったようです。

それにも慣れてきて、やっと太ってきた!と言っていたのに。。。

 

海外で単身赴任している知り合いが。

海外にいて、一番つらいのが、身内の不幸。

どんなにがんばっても、間に合わないし、手配もできない。

帰るころには、すべてが終わってると。

 

そう。

子供のころに、父の仕事の関係で、海外にいた時。

やはり、父方のおばあちゃんが危篤になりました。

今のように、たくさん、直行便もなく。

なんとか、乗り継いで、乗り継いで、

一刻でも早く、日本に…。

それでも、間に合いませんでした。

私と妹は、子供だったので、わかりませんが。

両親は、どれほど、無念だったでしょう。

その思いをまた、することになりました。

無念です。

 

叔父は、路上で転んだのですが。

その際、顔面から地面に倒れ、その反動で、逆ムチ打ちのようになり、

脊椎損傷のため、意識不明に。

救急搬送された病院での検査では、もう、わずかしか、

脊椎は、つながっていなかったとか。

その上、全身の血管が動脈硬化気味で、もろかったため。

あちこちで、出血していたようです。

 

帰ってきた日の夜が、お通夜。

昨日が、告別式。

 

年の割に背が高かった叔父も、小さくなってしまいました。

 

最後にそばにいれなくて、ごめんね。

叔母の時にお世話になった、葬儀屋さんの連絡先。

携帯に残していたので、旅先から連絡が取れて、

ちゃんとしてくれたのが、せめてもの救い。

 

最後は、叔父の希望通り、海に散骨します。

 

おっちゃん、安らかにね。

今まで、ありがとう。