「入院の人」になって、まもなく3週間。
意識レベルは、なだらか…では、なく、ドンドンド~ンと落ちています。
絶飲食は、今日のお昼にやっと解禁になりました。
が、食べたいという気持ちは、ほぼないような。
出された食事の1割ほどをゆっくりゆっくり介助していただいたようです。
水も、吸い飲みから、飲めるように。
でも、すぐにむせそうになるので、ゆっくりゆっくり。
とはいえ。
口に久々に入れてもらっても、もっと欲しい!とは、なりませんでした。
ここからは、誤嚥性肺炎との攻防になるのかな。
今日は、妹一家と合流しました。
前半は、なんとなく、おかしいながらも、会話になっていた?ような。
なので、妹は、認めたくなかったようでした。
途中でバイタルチェックとおむつ替えが入り、談話室に。
思うに、こちらが言った言葉をオウム返ししてるような。
それで、話が続いているような錯覚に陥るのでは?と思いました。
昨日、病院から電話があり、元々、血管が細くて点滴が難しかったところ、いよいよ、大変になり、以前、合意した中心静脈からの点滴に切り替えたい、と言われました。
同意書も出しているし、お願いしようと思った時に、電話口の看護師に、
「お気持ちに変わりは、ないですか?」と念を押されました。
それでも、治療のためには、必要なことだろし、とお願いしました。
でも、電話を切ってからも、看護師の言葉が心に引っかかり、折返し、電話しました。
「明日、妹一家が来る予定なので、ちょっと待っていただけませんか?」
そばに先生がおられたみたいで、OKが出ました。
この点もあり、看護師と話し合いをしました。
私たちが考えていたのは、「CVポート」であり、先生が考えておられるのは、「CV」。
ポートは、点滴の受付口を右肩辺りに埋め込む処置。
今、問題になっている延命の1つの手段ともいわれています。
先生が考えておられたのは、ポートを埋め込まずに、点滴をする先を中心静脈にするというもの。
心臓の近く、もしくは、太ももの付け根になるそうです。
どちらにしても、高カロリー点滴を受け付けられることになるので、治療と延命の線引きが難しい。
なぜ、私が延命にこだわるのか。
叔母(母の実姉)の延命を叔父が決めてからの1年間。
どんどん衰弱していく叔母を見ているのが、どれだけ、つらかったか。
生きたい!では、なくて、生かされてる叔母。
高カロリー点滴を体が受け付けなくなり、量を減らし、最後は、水分だけで、亡くなった叔母。
きっと言いたいことは、あっただろうに、植物状態で1年間、頑張らされてしまった。
その思いだけは、絶対にさせたくないのです。
来週、もう一度、先生に会って、話してこようと思います。
自分の生活優先の妹は、来ないようですが。
そして、今日は、母が自分の名前を言えなくなりました。
妹や私がわからなくなりました。
もちろん、やって来てくれた甥っ子もわかりません。
意味不明の音を並べて、一人で笑ってる。
何か、言ってるつもりなのでしょう。
痛みもなく、食べたい!という欲もなく。
穏やかに、一人で笑っていました。
今週の初め、病棟の看護師から、介護認定の見直し申請を勧められました。
「区分変更申請」と言うそうです。
市役所に届けたのですが、ケアマネにも連絡しておくように言われ、電話しました。
その時に聞いたのですが、妹や私が思っている「特養」への待機は、ダメになりました。
治療を必要とする人を受け入れないだろうとのこと。
ということで、残されたのは、療養病床。
病床数も減ってきているし、市内では、難しいかもしれないそうです。
知らない地方に行くくらいなら、妹のそばに探してもらおうかな。
いよいよ、「どこかのヒト」になりましたぜ。