先週の月曜日、8日の夕方に、救急搬送していただき、「入院の人」となりました。
昼前にヘルパーが入ってくれた時に、車いすの近くで転倒していたそうです。
意思表示は、できたので、ベッドに戻してくれたとのこと。
その週の後半に私は、出かける用事があったので、何度も伝え、メモを書いて貼っておいたのですが、ヘルパーには、私は、留守だ!と伝えたそうな。
そのため、訪問看護ステーションに電話してくれました。
意思表示は、できたため、訪問看護師は、午後になって来てくれたそうです。
そこから、連絡が入りました。
確かに意識は、あるものの、転倒しているので、一応、在宅往診の先生に連絡しましょうか?とのことで、いえ、私が電話します、と連絡を入れました。
在宅の先生も、思わぬ骨折とかもあるので、病院に行きましょう、とのこと。
先生が病院に手配をしてくださり、救急搬送となりました。
ここ数年、恒例行事のような、救急搬送。
在宅の先生は、あちこち、レントゲンを撮ってもらって、異常がなければ、そのまま、帰れますよ、とのことでしたが…。
ここ1ヶ月以内に大き目の脳梗塞を起こしていること。
その後遺症の麻痺から転倒が起こりやすくなっていたのかもしれない。
それから、胆のうに胆石があり、その1つが胆管に落ちていること。
明日、専門医に診てもらうので、このまま、入院しましょう、と言われました。
確かに病院にいてもらう方が安心なので、内心、ホッとしましたけど。
翌日、さっそく、内科の担当医から電話。
説明します、とのことでした。
本来なら、すぐに胆石を取り出し、胆のうも胆石ごと、切除するんだけれど、年齢を考えると、かなりの負担になること。
数年前の熱中症以来、腎機能が低下してるので、どこまで麻酔薬を使えるのか、ということ。
食べることへの執着心が強いので、胆のうの手術をすると、半月は、絶飲食になってしまう。
すると、本人のストレスもすごいと思うので、胆管に胃カメラから、チューブを入れて、胆汁の通り道を確保しましょう。
胆石も、胆のうも取らずに様子を見ることになりました。
簡単な処置なので、その日の夕方、やっていただくことになりました。
いつから始めるか、まだ未定なので、家族は、立ち会わなくていいですよ、と言われ帰ったのですが。
翌朝、電話がありました。
先生の説明によると、胆管が細すぎてチューブが入らず、結果、胆管を切って胆石を取り出しました。
が、胆のうの手術は、しない方向で考えましょう、とのこと。
翌日に、脳外科の先生と会いました。
倒れる1週間前に脳梗塞を起こしていること。
詰まった血栓は、心臓から飛んできていること。
気になったので、24時間、心電図を取ってみたら、不整脈がかなり起きていること。
今は、ずっとベッドに寝たきりの絶対安静状態なのに、けっこう危ない不整脈が起きていること。
今度、血栓が飛んでくると、かなり危ないので、「血をサラサラにする薬」を処方したこと。
脳梗塞を起こした場所が、視野に関係する部分で、すでに、両目の左半分は、見えていないし、これは、後遺症なので、一生、続くこと。
また、高次脳機能障害を起こしやすい部分に近いので、その症状も出てくると思う。
ただし、認知症との見極めは、難しいとのこと。
翌日には、この「血をサラサラにする薬」の後遺症が出てきました。
切開していただいた胆管からの出血が止まりません。
せっかく再スタートした食事も水分も中止。
絶飲食状態になりました。
あぁ、これは、荒れるな…と覚悟していました。
ところが。
日に日に意識レベルが下がり、意思表示が難しくなり、記憶が消え始めました。
どうやら、これは、認知症では、なく、高次脳機能障害が始まったようです。
私のことは、認識できているようですが、わかるまで時間がかかります。
自分がどこにいるのか、わからない。
自分の名前が言えるか、どうか、気になったのですが、なんだか、怖くて聞けませんでした。
その代わり、食への執着が消えました。
絶飲食でも、何も文句がでなくなりました。
しかも、痛みを待つタイプで、常にどこかが痛い!と言っていた人が「どこも痛くないの」と言っています。
ただし、輸血も視野に入れねばならないそうで、同意書にサインしてきました。
血管も細いので、絶飲食が続くようなら、首の静脈から点滴するとのこと。
こちらも同意書にサインしてきました。
今まで何度も、命が危ない!と言われ、それでも復活してきた人ですが、今回は、難しいようです。
今の病院は、急性期病院なので、状態が安定すれば、どこかに移るのでしょうが、
今の状況では、母が「絶対に入らない!」と激怒した施設にすら、難しく、療養型病院または、特養になりそうです。
とはいえ。
特養のすごい待機人数を考えれば、どこで待機するのか?という問題も起きてくるわけで、そうなると療養型病院もしくは、母の状況を受け入れてくれる施設となりそうです。
今は、とにかく出血が止まり、食事ができるようになること。
私が「親切な、どこかの人」になってもいいので、それだけを祈っています。
母に関しては、後悔の念は、ありません。
自分としては、できることは、すべて、やったつもりなので。