自宅の人になって、早や2ヶ月ほど、過ぎようとしています。
相変わらず、車いす生活ですが、それなりに生活してるようです。
老健にいる時は、とにかく、自宅に戻れば自由になれる。
本人、いわく、「自分らしい」生活ができる・・・はずでしたが。
現実は、ほど遠く。
立ち上がるのも、自力でできるようになったものの、トイレが間に合わないくらいに、ゆっくり。
「欲しいものがあれば、コンビニに自分で行くから。」からは、ほど遠い生活。
でも、苛立ちも、あるだろうけど、そんな感じは、しない。
ひょっとして、何も感じてないのかも。
今までは、「世間体」ばかり、気にして、テレビでさえ、イヤホンで聞いていた。
理由は・・・
「私は、生活騒音を出さないように、こんなに気を付けて生活してる。」
「周囲の人間は、みんな、自分のことばかりで、私に迷惑ばかり、かける。」
自宅の人は、人の生活騒音に我慢ができない人。
どこに住んでも、生活騒音で、近隣と問題を起こしてきました。
自分は、他人に迷惑をかけてないのだから、他人も、自分に迷惑をかけないのが当たり前。
自宅の人の勝手な「常識」。
なのに、みんな、「わざと」音を出して、自分に迷惑をかける。
自分は、なんて、かわいそうな人間なんだろう。
だから、絶対に音が漏れないように、イヤホンでしか、テレビは、見ない人だった。
ところが。
今回、自宅に戻ってからは、今まで考えられないような大音量でテレビを見てる。
見てる? ほんとに見てるのかな。
誰が行っても、テレビを消さないみたい。
だから、話がしたいときは、テレビを消すように言わないとわからない。
ずっと1日中、テレビは、ついてるけど、どこまで理解してるのかな。
話しかけても、テレビから目を離さない。
たぶん、夜中も明け方も、寝たい時に寝て、起きたい時に起きてるのだろうから、テレビもあの音量のまま、ついてるのだろうな。
ここ数週間、スイッチが入ってないけど。
相変わらず、行くたびに、同じ質問をする。同じことを訴える。
「左の頬から顎にかけて、じんわり痛いの。」
骨髄炎の手術とは、言っても、腐った部分をかきだしただけだからね。
骨自体は、悪いままなのよ。
「どうして、すっきり手術しなかったの?」
そのためには、下顎の左半分を取り去ることになるなら、歯もなくなる。
食べることも、しゃべることも、数か月、できないから、年齢を考えて、そこまでしなかったんでしょう。
「そうなの。食べられなくなるの。それは、困ったねえ。」
胃瘻があるから、栄養や水分は、入れられるけど、それじゃ、我慢できないでしょう?
「食べられないとね。つまらないよね。」
そうやね。食べられるように、先生も残してくれたんじゃないの。
「ずっと痛いの?死ぬまで続くの?」
痛くなったり、マシになったり、続くみたいやね。
この会話を、いる間、何度か繰り返す。
昨日、あったことを聞いてもよくわからない。
午後に行くと、午前中、ヘルパーが来たことは、覚えてる。
何十年も昔のことは、昨日のことのように覚えてる。
自分が嫌な思いをしたこと、自分に都合が悪いことは、忘れる。
作文できるとこは、作文して、自分に都合がいいことに変える。
このまま、どんどん、わからなくなる方が、本人にとっては、幸せなのかもしれない。