昨日も病院のお伴で老健の人と出かけたけど。
まだ、この夏からのお付き合いの泌尿器科の先生、相手に、
自分勝手な言い分をまくしたててました。
夏の大学病院の退院後から、お世話になってます。
老健を経営している病院に10年以上、お世話になってるけど。
そこには、腎臓内科がなくて。
内科の先生が腎臓系も診てたり。
透析に関しては、泌尿器科の先生が決めるらしい。
大学病院からの手紙をどこに届けるか、病院と相談の結果、泌尿器科になりました。
患者さんは、男性が多いかな。
しかも、中高年が多い。
いつも、呼ばれるのは、最後。
昨日も、1時間近く、待って、最後に呼んでくれました。
この1時間の間に、どこかで「スイッチ」が入ったらしく。
でも、車いすを待機させる場所と私が座ってる場所が離れていたので、
も、言いたいことをぶつけられないイライラが絶頂に達していた様子。
診察室に入り、「どうですか?お変わりない?」と聞かれた途端。
自分が、老健のスタッフやら、実の娘にどんなにひどい仕打ちを受けてるか。
「誰にも迷惑をかけず」?自分らしく?自宅で生きたいだけなのに。
なぜ、金まで払って、こんなに嫌な思いをし続けないといけないのか。
娘たちは、1日も早く自分が死ねばいいと思ってる。
倒れるたびに、「もう、いい加減にして!」と言われる。
施設に入れたら、放ったらかしで、やっても来ない。
ほかの家族は、毎日のように来て、「おやつ」も届けてる。
うちの娘は、持ってきたためしがない。
こんな「冷酷」な娘だと思わなかった。
最後は…。
なんて、かわいそうな私なんでしょう?
たぶん、40前後の先生だと思うけど。
大柄で、優しそうな穏やかな先生。
「腎臓が悪い人には、食事に色々と制限があってね。」
わかってます!お粥しか、食べさせてもらってません!
「タンパク質も、糖分も、制限せんならんのよ。」
全部、刻み食なんですよ!食べてる気もしない!
「勝手に、おやつを持ち込んだら、せっかく栄養士さんがよかれと思ってやってくれてるのが、むだになるでしょう?」
3時に施設のおやつは、やっと食べさせてもらってますけど。
「こうやって、毎回、娘さんも一緒に来てくれてるやん?」
フン!
みんな、自宅があるのに、なんで、あんた、帰れへんの?って言われます。
でも、娘が連れて帰ってくれないんです。
自分の家で、趣味に没頭した生活をしたいだけなんです。
「その意欲は、大切。大切やけど。頭で考えることと、実際に体を動かしてできることは、別なんよ。」
やれば、できます!
「僕の患者さんで、同じように押し切って施設を出て、自宅に戻りはったけど。
結局、1週間で、病院に戻ってきはったよ。」
「先先のことを考えるよりも、今、何ができるのかを考えてみない?」
「その方が気持ちも楽になると思うよ?」
私は、大丈夫です。帰ったら、なんとか、なるんです。
こんな恩着せがましい娘に、いちいち気を使って、してもらわんでも、
私は、なんでもできるんです。
だから、今度、入院して退院したら、そのまま、自宅に帰ります!
このヒトの膝のために、2ヶ月も、2ヶ月も、手術が延びて、施設にいる羽目になったんです。
たぶん、いたたまれなくなった?看護師さんの計らいで、
「さ、処置室で注射してもらいましょう」と診察室の戸を開けてくれました。
お礼を言って、診察室を出るときに、
「僕には、聞くだけしか、できないけど、また、来てください。」
「ちょっと弱音が出てきたのかな?」
いや、わがままです、と、私。
処置室まで、車いすを押してくれた看護師さん。
途中で、小さい声で、「大丈夫ですか?」
今に始まったことでは、ないので大丈夫です、と私。
目の前で、他人に自分の親から罵倒されることにショックは、もうありません。
吼えろ! ほざけ!と思っています。
認知症のなせる業…とも、100%は、思っていません。
これは、元からの性格だと思っています。
小さいときから、親の思い通りにならないと、追い詰めて追い詰めて罵倒して、
納得なぞさせなくていい、自分の思い通りにすれば、それでいい。
でも、子供だって、成長とともに、なんか、おかしい、と思うと。
なかなか、親の思い通りには、ならない。
となると、夜であっても、庭にあった真っ暗な物置にとじこめて、外から鍵をかける。
老健の人が聞きたいのは、「ごめんなさい」では、なくて。
「お母さんが正しいです。私は、間違っています。」という言葉。
1時間でも2時間でも、放っておかれました。
先に亡くなった父は、たぶん、この性格を知っていたのでしょうね。
そりゃ、夫婦ですから。
どこで気が付いたのか、は、わかりませんが。
激昂した自分の妻にどうしたら、いいのか、わからなかったのかも。
無責任といえば、無責任だけど。
一度「スイッチ」が入ると、昔から、どうしようもなかったのかも。
今までに一度だけ、老健の人の前で泣いたことがあります。
ほとんどのことは、自分の中で良きにつけ悪しきにつけ、処理していくんだけど。
その時だけは、「不覚」にも、泣きました。
泣いた瞬間に、自分でも、あ、泣いたって、なんの解決にならんな、と気が付きました。
顔を上げた瞬間、うすら笑いを浮かべた老健の人がいました。
思いっきり、バカにしたような、うすら笑いでした。
一言も発さず、ただただ、上から目線で見てました。
この日から、私は、自分の感情を出さなくなりました。
かなり前の話なので、認知症なんて関係なくて、単にこの人の性格だったんでしょう。
このヒトを、私は、もう、「母」とは、呼びたくない。
だから、あえて、「老健の人」なのです。
入院すれば、「病院の人」。
自宅に戻るなら、「自宅の人」なのかな。
泌尿器科の先生の患者さんは、1週間、頑張ったらしいけど。
たぶん、老健の人は、1週間ももたないでしょう。
「ヘルパーが助けてくれるから、薄情な娘は、いらない」そうですが。
ヘルパーは、1回70分ですものね。
後の23時間、1人なんだけど、理解できないようです。
何度も繰り返してきた、「家に帰る」騒動。
そのたびに、「最悪のこと」を考えて、帰らせてました。
今回は、その「最悪のこと」が一番早く来そうですが。
それで、本人が納得するなら、それでいいのです。
でも、娘ですが、「薄情」で「冷酷」なので、も、手を差し伸べる気は、ありません。
福祉の力で、できる範囲だけでお願いしようと思います。
私なりに、私のできることは、してきたつもりなので、後悔は、していません。