それぞれの親子関係があって、それでいいのだと思う。
うちの母は、自分の考えこそ、世の中の正論で、常に常識的だと信じている。
それは、私の母になる以前から、そうなんだろうと思う。
人に意見を求めるときもあるけど。
それが自分のと違う場合には、思いっきり、疑い深い表情と言葉で対応する。
結果、それには、従わない。
たまに、(珍しいけど)人の意見に従って、自分の思い通りにならないときは、
絶対に誰かに責任転嫁をする。
今まで何度も意見を求められ、答えた結果、うまくいった場合は、いつの間にか、
最初から、自分の意見だったように、ふるまう。
もし、うまくいかなかった場合は、事あるごとに、何度も責められる。
私は、いつのころからか、自分の意見を言わなくなった。
すると、それは、それで、真剣に考えてないからだ!と決めつけられ、責められる。
思えば・・・
子供のころ、怒られたときに、決して、逃げ道は、残さない。
追い詰めて、追い詰めて、自分の意見を飲ませようとした。
子供に、なぜ、そうしたのか?などとは、聞かない。
聞かれたことがない。
追い詰められた状況から、逃げるには、母の意見を認めるしか、なかった。
自分で考えて導いた結果では、ないから、納得なぞ、していない。
父は、私が就職した年に亡くなった。
明るくて、朗らかで、細かいことは、言わない人だった。
仕事人間で、家庭のこと、子育てのことは、まかせっきりだった。
特に、男の子がほしかったので、よけいに子育てには、参加しなかったのかも。
息子がいたら、夢があったんだろうと思う。
父という、つっかえ棒がなくなって、母は、余計に突っ走った。
年とともに、自分の意見が通らないと、通るまで、食い下がる。
根負けした私たちが悪いのだが。
なんでも、自分の思い通りになる、と、思っている。
自分の意見を通すためには、驚くほどのエネルギーを使う。
徹底的に反対意見を批判し、何度も何度も自分の意見を通そうとする。
軽い認知症が入ってからは、悪態をつく、暴言を吐くようになった。
昔から、よく手をあげられていた妹は、ひと様に手をあげないか、不安だったそうな。
(妹は、よく、母に逆らっていたし。)
だから、老健の人から、自宅の人にした方がいい!と主張したのは、妹だった。
人は、誰でも、年を取ると、一人では、生きていけない。
年を取らなくても、人は、人の中で、誰かにいつも支えられて生きてると、私は、思っている。
年とともに、より人とのかかわりが必要になり、誰かに助けてもらわねば、いけないと思う。
そんな中で、自分の考えだけでは、なくて、人の意見も聞く心がないと、支えては、もらえないと思う。
でも、母は、変わらないだろう。
最後まで、このままだろう。
今回、初めて、「老健の人」になって、自分の思い通りにならない生活を5か月。
母には、限界だったろう。
退所前の1ヶ月は、大変だった。
その結果、私は、母との関係を修復できない状態にまでなってしまった。
介護サービスの中で、自宅の人になってもらう。
本人も、「あんたになんか、しがみつかない!」
「私は、なんでも、自分でできるんだから!」
昨日、午後に自宅の人になり、妹夫婦が、夜までつきあってくれた。
でも、電話もない。
私から電話すればいい?
いや、もう、そんな気持ちにもなれない。
明日から、ヘルパーが来てくれる。
なんとか、週3日、頼めた。
7日間のうちの、たったの3日間。しかも、1回70分。
でも、それに助けてもらうしかない。
母が私を受け入れられないのと同時に、私も母をもう、受け入れられない。
自分の気持ちを整理するために書きました。
もし、見つけられたら、どうぞ、読み流してくださいませ。