なんとなく。

なんとなく、納得がいかないので、書き留めておこうかと。

 

先週、妹が2回も、自宅の人のとこに行ってくれた。

それには、感謝する。

 

玄関の鍵を、遅ればせながら。

とはいえ。

型番が古く、しかも、古い型しか、合わなかったので、遅れたのは、私のせい…じゃないよね。

でも、自宅の人は、私が遅らせた!と思ってる様子。

ま、も、どうでもいいのだけど。

数年前にケアマネに要請?されて、

メーターボックスに、鍵を隠してある。

今回、鍵を取り換えるにあたって、どうやって、鍵を入れ替えようか?

それは、悩んだわけです。

幸い、鍵屋さんが、すごくいい人で。

とっても若いお兄さんだったけど。

「うちのかあちゃんも、じいちゃんのことで、大変だって言ってた。」

と、めっちゃ理解してくれて、協力してくれた。

ので、無事に、鍵の入れ替えもできた。

 

自宅の人は、たぶん、私には、鍵を渡したくないだろうと思ってた。

それは、それで、よかった。

どうしても、部屋に入らないといけないときは、

隠してある鍵を使えばいいと思っていたから。

そしたら。。。

妹に鍵を託してきた。

それが、自宅の人の歩み寄りのつもりなんだろうか。

持ってきた妹が、やたら、仲直りを勧める。

話を聞いてると…。

単に自分一人にかかってる負担をなくしたい、だけみたいだけど。

 

しかし、妹よ。

あんたがな~にも協力してくれなかったこの10年間。

まだ、1か月半しか、一人でやってないじゃん?

せめて、これからは、頑張っていただかないと。

 

で、納得できないのは、「仲直り」という言葉。

だって、私、ケンカしてない。

誰とも、ケンカしてない。

私は、いつも通り、自分のできることをやってきた。

それに対して、勝手にブチ切れたわけだから。

ケンカ…では、ないと思うの。

ましてや。

「仲直り」という精神状態では、ないのだよ。

 

頼れない!

頼ってたまるか!!

そう思って、気が張って、頑張れるのなら、それでいいと思うの。

もう、二度と、どんな施設にも、入らないだろうから。

自分が望むように、生きてもらえば、それでいい。

普通のタクシーに乗るのが、しんどくなったら、

介護タクシーもあるじゃない。

 

と、まだ、静観の構えでありまする。

 

 

 

私らしく、生きる!

老健の人が、自宅の人になって、早や、1ヶ月。

退所したときの体調、心調を考えると、自宅では、1ヶ月が限界かも?と思っていた。

最初は、私への拒絶、反発と、言い出した意地で、気が張り詰めているだろうから、

それなりに頑張るだろうとは、思っていた。

でも、そこへ、疲れがだんだんとたまり、体も心も悲鳴を上げるかも…と。

 

1ヶ月、過ぎて。

結局、会ってないので、状況は、見えてこないけど。

なんとか、やっているようです。

 

まったく接触がなかったのか?と言うと。

実は、3回、電話がありました。

ただし、会話としては、成り立っていないと思っています。

 

1度目は、ガスコンロの警報が止まない、と、深夜に電話。

元栓は、閉めたけど、それでも、ずっと警報が鳴っている。

「あんた、10万も使ったくせに、どうせ、ホームセンターで、安物のコンロを

買ってきたんでしょう。」

「残っていた書類の会社に電話したけど、誰も出ない。」

そりゃ、そうですよ。

こんな深夜に、誰が店にいます?と言ったけど、聞いてない。

ガスコンロ本体に、緊急時用の連絡先シールが貼ってあるので…

の途中で、一方的に電話を切られた。

 

2度目は、今まで預かっていた支払い後の残金を、妹から返してもらおうと渡した日の翌日。

「昨日、受け取ったお金の入った袋、見つからないんですけど。」

いや、それは、知りません。

私、そちらに行ってないので… の途中で、一方的に切られた。

 

そして、3度目は、昨日の深夜。

「また、ガスコンロの警報が、夕方からずっと鳴ってる。」

「この間も鳴って、今日も鳴って。きっと乾電池がないんじゃないの?」

「10万もするガスコンロに、使い古しの乾電池を入れたの?」

使い古しの乾電池を入れた覚えは、ありません。

まだ、1ヶ月も経ってないのに、乾電池切れは、考えられません。

乾電池が、仮に切れても、警報が鳴るとは、思えません。

もう一度、本体の緊急時用の番号に電話をしてください。

「え?こんな時間に、また、私が電話するの?」

なぜ、夕方に鳴り始めたときに電話しなかった… で、また、切られた。

 

今朝、妹にメール。

妹が電話してくれたら、ガス会社から、説明に来てくれる、とか。

その後、また、妹からメール。

 

なんと…。

ガスは、着火できるのに、消し方がわからない?

わからないから、火を小さくしてから、口で吹いて消してた???

すごい発想だ。

そりゃ、ガス漏れ警報、鳴り続けるわ。

明日、妹がのぞいてくれて、もう一度、使い方の説明をするそうです。

 

今まで、当たり前にできていたことが、1つ、抜け、1つ、抜け。

でも、本人は、かたくなに、今まで、できていたことは、今でもできる!

と、自分を過信してる。

できない自分を認めたくないんだろうな。

 

やっぱり、私…。

かわいいBBAになりたい。

そのためにも、この機会に、自分としっかりと向かい合って、生きていこう。

せっかく、自分の時間が持てるようになったんだし。

私らしく、生きることは、私自身と向き合うことなんだと思う。

 

 

 

母のこと。

それぞれの親子関係があって、それでいいのだと思う。

 

うちの母は、自分の考えこそ、世の中の正論で、常に常識的だと信じている。

それは、私の母になる以前から、そうなんだろうと思う。

人に意見を求めるときもあるけど。

それが自分のと違う場合には、思いっきり、疑い深い表情と言葉で対応する。

結果、それには、従わない。

たまに、(珍しいけど)人の意見に従って、自分の思い通りにならないときは、

絶対に誰かに責任転嫁をする。

今まで何度も意見を求められ、答えた結果、うまくいった場合は、いつの間にか、

最初から、自分の意見だったように、ふるまう。

もし、うまくいかなかった場合は、事あるごとに、何度も責められる。

私は、いつのころからか、自分の意見を言わなくなった。

すると、それは、それで、真剣に考えてないからだ!と決めつけられ、責められる。

 

思えば・・・

子供のころ、怒られたときに、決して、逃げ道は、残さない。

追い詰めて、追い詰めて、自分の意見を飲ませようとした。

子供に、なぜ、そうしたのか?などとは、聞かない。

聞かれたことがない。

追い詰められた状況から、逃げるには、母の意見を認めるしか、なかった。

自分で考えて導いた結果では、ないから、納得なぞ、していない。

 

父は、私が就職した年に亡くなった。

明るくて、朗らかで、細かいことは、言わない人だった。

仕事人間で、家庭のこと、子育てのことは、まかせっきりだった。

特に、男の子がほしかったので、よけいに子育てには、参加しなかったのかも。

息子がいたら、夢があったんだろうと思う。

父という、つっかえ棒がなくなって、母は、余計に突っ走った。

年とともに、自分の意見が通らないと、通るまで、食い下がる。

根負けした私たちが悪いのだが。

なんでも、自分の思い通りになる、と、思っている。

自分の意見を通すためには、驚くほどのエネルギーを使う。

徹底的に反対意見を批判し、何度も何度も自分の意見を通そうとする。

軽い認知症が入ってからは、悪態をつく、暴言を吐くようになった。

昔から、よく手をあげられていた妹は、ひと様に手をあげないか、不安だったそうな。

(妹は、よく、母に逆らっていたし。)

だから、老健の人から、自宅の人にした方がいい!と主張したのは、妹だった。

 

人は、誰でも、年を取ると、一人では、生きていけない。

年を取らなくても、人は、人の中で、誰かにいつも支えられて生きてると、私は、思っている。

年とともに、より人とのかかわりが必要になり、誰かに助けてもらわねば、いけないと思う。

そんな中で、自分の考えだけでは、なくて、人の意見も聞く心がないと、支えては、もらえないと思う。

でも、母は、変わらないだろう。

最後まで、このままだろう。

 

今回、初めて、「老健の人」になって、自分の思い通りにならない生活を5か月。

母には、限界だったろう。

退所前の1ヶ月は、大変だった。

その結果、私は、母との関係を修復できない状態にまでなってしまった。

介護サービスの中で、自宅の人になってもらう。

本人も、「あんたになんか、しがみつかない!」

「私は、なんでも、自分でできるんだから!」

 

昨日、午後に自宅の人になり、妹夫婦が、夜までつきあってくれた。

でも、電話もない。

私から電話すればいい?

いや、もう、そんな気持ちにもなれない。

明日から、ヘルパーが来てくれる。

なんとか、週3日、頼めた。

7日間のうちの、たったの3日間。しかも、1回70分。

でも、それに助けてもらうしかない。

母が私を受け入れられないのと同時に、私も母をもう、受け入れられない。

 

自分の気持ちを整理するために書きました。

もし、見つけられたら、どうぞ、読み流してくださいませ。

 

 

 

ひとりごと。

今回の上京で、迷っていた鎌倉行き。

結局、父に呼ばれた気がして、行ってきました。

 

父方の祖母が亡くなったときに、祖父が決めた霊園。

当時は、公園墓地の最先端だったそうな。

新しモノ好きで、目立ちがり屋だった祖父らしい。

親不孝モンの父は、母親の次に、父親より先に入ってしまった。

その後、祖父もそこへ。

 

父には、妹が一人。

 

祖父が買った墓地だから、管理人は、祖父。

その祖父が亡くなったときに、ふと思った。

長男の長女だから、ワタシが管理すべき?って。

でも、関西に住んでいて。

管理など、できるだろうか?

お墓の移転も考えた。

でも、父は、ワタシの父だけど。

祖父母は、従兄たちにとっても、祖父母。

仮に、管理人になったとしても、無断では、移転できない。

そのうち、母の体調不良が始まり。

 

そんなときに、父方の従兄の一人から封書が届いた。

「父が(ワタシには、叔父。叔母の連れ合い。父の義弟。)亡くなりました。」

「今後、自分が、霊園の管理人となります。」

「つきましては、鎌倉の墓地を、連名とし、墓石を書き替えます。」

 

ん? どういうことだ?

要するに。 たぶん、想像だけど。

都内に住んでたはずなんだけど。

いつか、某国営放送でやってたけど、都内で、お墓を見つけるのって、大変なんでしょう?

ま、お金持ちは、心配ないんだろうけど。

墓石を書き替えて、連名にする?

って、自分チのお墓にも、しちゃうってことよね?

それが、一番簡単で安上がりだよね。

しかも、今後、誰も、この墓には、入れないぞ!宣言なんだ。

 

これが、2年前の話。

父方の叔父は、ワタシのはてなによく出てくる?叔父と1週間違いで、亡くなったらしい。

どこに納骨しよう?で、鎌倉に手を加えて、納骨することにした様子。

 

毎年、鎌倉に行ってけど、この2年間は、行ってなかった。

でも、今年、行ってきた。

いつもは、お参りしたら、帰るけど。

今回は、なんとなく、墓石の裏の名前を見た。

というか。

見るように、勧められた気がした。

 

なんと、そこには、叔母の名前。

去年、亡くなった様子。

 

そか。

これで、父の一家がそろったんだ。

一人、違う人がいるけどね。

しかも、従兄が、墓守りしてくれる。

 

これで、よかったんだよね。

また、会いに来るね。

 

ずっと複雑な気持ちだったけど。

も、いいや。

 

ひとりごと。

久々の金縛り。 ナミダ

少なくとも、この1,2年は、なかったはず。

元は、仏教用語らしぃのですが。

それに、科学的な説明もできていて。

決して、霊的なコトでは、なぃよ~ですが。

 

なんとなく、人は、あまり感じなぃ気配とか。

声?とか、人影?とか、視線?とか。

そぅいぅモノを、今より、もっと感じてた時は。

今より、もっともっと、金縛りに遭ってたよ~な。

 

夢を見ているときに、金縛りに遭ったのですが。

真っ白な四角い、窓のない部屋。

ドアだけ、1つ、ありました。

壁沿いに、白い四角い台があって、そこに母が寝ていました。

ベッドだったのかな。

かけ布団だけ、かけていたよ~な。

ワタシは、部屋の中央の床に寝ていました。

敷き布団だけで、何もかけていなかった。

真っ白な壁に、バラの花だけ、壁にリースのよ~に飾ってありました。

5色のバラの鮮やかだったコト。

照明があったのか、ど~か、覚えていなぃのですが。

金縛りと同時に、部屋の中が点滅して。

明るくなるたびに、バラの花が1つずつ、枯れて、濃ぃグレーになっていく。

最後のバラがグレーになったとき、息ができなくて、死ぬ!と思ぃました。

その時に、ドアが開いて…。

わぁ~と大声で叫んだよ~な。

で、目が覚めました。

ところが、何度も繰り返すわけですよ。

何度もね。

声がガラガラになって、必死で立ち上がりました。

ホントは、もっと眠かったんだけど。

寝るのが、怖かった。

 

まだ、隣の市に、動物園と一緒になった遊園地があったころ。

夏は、夕方から行くと、入場料が半額になってました。

よく行きました。

いつも、最後に乗る乗り物があって。

しかも、も、終わりだから、って、スタッフさんが、何度でも乗せてくれた。

乗り疲れて、いつも、決まって座るベンチがあって。

ソコで、毎年一度は、必ず出会ぅ親子がいました。

若ぃお母さんと、小学校低学年くらぃの女の子。

でも、たぶん、ほかの人には、見えてなかったんだと思ぅ。

いつも、同じ場所から歩いてくる親子。

通り過ぎるときに、風を感じるんだけど。

振り返ると、誰もいなぃ。

今でも、親子が着ていた服装を覚えている。

あの遊園地は、とっくになくなってしまったけど。

あの親子は、どうしてるんだろ?

あの親子に、出会ってた頃は、もっと金縛りに遭ってた。

 

ちなみに。

今でも、納骨堂は、苦手。 

静かなはずの納骨堂なのに、たくさんの声がワンワン聞こえる。

後ろから肩やら腕をつかまれるような感覚。

いまだに、入れません。

 

今夜は、何も起こりませんよ~に。

 

ひとりごと。

昨日、見学してきた、高齢者用賃貸マンション。
実は、この間、見学したトコと同じ会社のモノ。
この前のは、新築、今回のは、数年前モノ。

なぜ、この会社か…といぅと。
まずは、部屋の広さ。
叔父が入居していた、いわゆる有料老人ホーム。
一時金もなかなかの金額だったけど。
けっこぅ部屋が狭かった。
それでも、男性だから、着替えも身の回り品も
最低限だったので、収まっていた。
でも、母の場合、こだわりの愛着品が多ぃので。
そりゃ、多ぃのですよ。 トホホ
それを持ち込むとなると…
あの広さでは、無理だよなぁ、と思ってた。
ところが。
この会社のは、賃貸だから、一時金なし。
敷金、礼金、なし。
完全に月々のモノだけで、いぃ。

しかも、標準的な18㎡より大きぃ25㎡。
しかも、お風呂は、病院のように共有が多ぃ中。
部屋に湯船もシャワーも、ある。
もちろん、ケア付きなので、入浴時の見守りもお願いできる。
ベランダもあって、好きな植木も持ち込める。
コレが決め手かなぁ。

ただし。
最初に見た新築物件のケアマネの対応に、ひどく悩んでる。 ナミダ
ケアマネと言えば、利用者本人(母)と利用者家族(ワタシ)とで、
三角形を作って、相談できる、信頼できる関係でありたぃ。
その自信がなぃのだ。
すっごく不安なのだ。
幸ぃ、母は、このところ、ポォ~としてるので、
ケアマネについては、まったくナニも感じてなぃ様子。
ならば、ワタシが目をつぶればいぃんだろ~か。
ココ数日、ずっとそれを考えてきた。

昨日、見た物件は、年数が経っているが、
設備が若干、違ぅため。
月々の料金が、数千円、高ぃ。
向こうにすれば、どぅせなら、新築の方がいぃだろ~に、なぜ?
疑問を持った様子。
黙っていよぅと思ったんだけど。
コレから、ずっとお世話になるかもしれなぃトコ。
ぶっちゃけ、事情を話してみた。
イヤな話だし、検討段階から、ブラックリスト入りのクレーマーだと思われるかな。
でも、なぜ、ココを見学に来たか、わかっていてほしぃ。
今まで、サイコ~に素晴らしぃケアマネと出会ってきただけに、
ど~しても、ワタシが納得できなかった。
それを理解してもらえそ~な気がしたから。

まっすぐに話を聞いてくださり、引かず。
理解してもらえた。
話してみて、よかった。
後は、本人次第。
気に入ってくれたら、いぃのにな、と思ぅ。

今度の木曜日の午後、連れていきまする。

ただし、立体駐車場。 
一度も、入れたコト、なぃ!
怖ぃよぉ~
ガンバれ、ワタシ!

リピートは、なぃ! キッパリ

今回、泊まった旅館。
老舗旅館で、昔は、敷居が高かった。
今のご時世。
団体さんも、中さん韓さんも入れなぃとやっていけなぃ。
でも、ベテランスタッフ(中高年ね)には、昔のプライドだけが残っていて。
きっと毎日、自分の中で葛藤してるんだろな。
それを若ぃ、今風のスタッフにぶつけてる感じ。
それが客から見えるから、とっても不愉快。

ホテル、旅館のおもてなしって。
単にサービス提供だけじゃなぃと思ぅんだ。
客とスタッフが世間話で、盛り上がってもいぃと思ぅの。
それを
お客様には、ご滞在中、快適にお過ごしいただくために、
私どもは、干渉いたしません。
でも、いつでも、お声かけください・・・
といぅ看板をベテランさんたちは、振り回して、妨害するの。 シンジランナィ
談笑してるとね、業務連絡だか、なんだか、わからなぃけど。
話の途中で、若ぃスタッフを呼びつけるんだよね。 アリエナィ
命にかかわる重大事項なら、納得。
でも、明らかにそ~じゃなぃ。
ベテランさんたちにとって、一番大切なのは、自分たちのプライド。
客じゃなぃんだよ。
コレで、老舗旅館でござぃ~って言える? イエナィイエナィ

帰る日は、土砂降りに近ぃ雨の朝。
時間通りにチェックアウトの手続きをして。
さて、ちょっと遠ぃ駐車場まで、車を取りに行くの、メンド~だなって。
しばらく、ロビーで様子見してた。
そしたらね。
ごひいきさんの車だけ、玄関先まで、持って来るの。
イチゲンさん、団体さんのバスは、見送りもしなぃ。

あの中高年ベテランスタッフたちが、出ていかなぃ限り、
あの旅館の体質は、変わらなぃなぁ。
てか、あの状態では、そこまで持たんかな。