ひとりごと。

昨日、見学してきた、高齢者用賃貸マンション。
実は、この間、見学したトコと同じ会社のモノ。
この前のは、新築、今回のは、数年前モノ。

なぜ、この会社か…といぅと。
まずは、部屋の広さ。
叔父が入居していた、いわゆる有料老人ホーム。
一時金もなかなかの金額だったけど。
けっこぅ部屋が狭かった。
それでも、男性だから、着替えも身の回り品も
最低限だったので、収まっていた。
でも、母の場合、こだわりの愛着品が多ぃので。
そりゃ、多ぃのですよ。 トホホ
それを持ち込むとなると…
あの広さでは、無理だよなぁ、と思ってた。
ところが。
この会社のは、賃貸だから、一時金なし。
敷金、礼金、なし。
完全に月々のモノだけで、いぃ。

しかも、標準的な18㎡より大きぃ25㎡。
しかも、お風呂は、病院のように共有が多ぃ中。
部屋に湯船もシャワーも、ある。
もちろん、ケア付きなので、入浴時の見守りもお願いできる。
ベランダもあって、好きな植木も持ち込める。
コレが決め手かなぁ。

ただし。
最初に見た新築物件のケアマネの対応に、ひどく悩んでる。 ナミダ
ケアマネと言えば、利用者本人(母)と利用者家族(ワタシ)とで、
三角形を作って、相談できる、信頼できる関係でありたぃ。
その自信がなぃのだ。
すっごく不安なのだ。
幸ぃ、母は、このところ、ポォ~としてるので、
ケアマネについては、まったくナニも感じてなぃ様子。
ならば、ワタシが目をつぶればいぃんだろ~か。
ココ数日、ずっとそれを考えてきた。

昨日、見た物件は、年数が経っているが、
設備が若干、違ぅため。
月々の料金が、数千円、高ぃ。
向こうにすれば、どぅせなら、新築の方がいぃだろ~に、なぜ?
疑問を持った様子。
黙っていよぅと思ったんだけど。
コレから、ずっとお世話になるかもしれなぃトコ。
ぶっちゃけ、事情を話してみた。
イヤな話だし、検討段階から、ブラックリスト入りのクレーマーだと思われるかな。
でも、なぜ、ココを見学に来たか、わかっていてほしぃ。
今まで、サイコ~に素晴らしぃケアマネと出会ってきただけに、
ど~しても、ワタシが納得できなかった。
それを理解してもらえそ~な気がしたから。

まっすぐに話を聞いてくださり、引かず。
理解してもらえた。
話してみて、よかった。
後は、本人次第。
気に入ってくれたら、いぃのにな、と思ぅ。

今度の木曜日の午後、連れていきまする。

ただし、立体駐車場。 
一度も、入れたコト、なぃ!
怖ぃよぉ~
ガンバれ、ワタシ!

リピートは、なぃ! キッパリ

今回、泊まった旅館。
老舗旅館で、昔は、敷居が高かった。
今のご時世。
団体さんも、中さん韓さんも入れなぃとやっていけなぃ。
でも、ベテランスタッフ(中高年ね)には、昔のプライドだけが残っていて。
きっと毎日、自分の中で葛藤してるんだろな。
それを若ぃ、今風のスタッフにぶつけてる感じ。
それが客から見えるから、とっても不愉快。

ホテル、旅館のおもてなしって。
単にサービス提供だけじゃなぃと思ぅんだ。
客とスタッフが世間話で、盛り上がってもいぃと思ぅの。
それを
お客様には、ご滞在中、快適にお過ごしいただくために、
私どもは、干渉いたしません。
でも、いつでも、お声かけください・・・
といぅ看板をベテランさんたちは、振り回して、妨害するの。 シンジランナィ
談笑してるとね、業務連絡だか、なんだか、わからなぃけど。
話の途中で、若ぃスタッフを呼びつけるんだよね。 アリエナィ
命にかかわる重大事項なら、納得。
でも、明らかにそ~じゃなぃ。
ベテランさんたちにとって、一番大切なのは、自分たちのプライド。
客じゃなぃんだよ。
コレで、老舗旅館でござぃ~って言える? イエナィイエナィ

帰る日は、土砂降りに近ぃ雨の朝。
時間通りにチェックアウトの手続きをして。
さて、ちょっと遠ぃ駐車場まで、車を取りに行くの、メンド~だなって。
しばらく、ロビーで様子見してた。
そしたらね。
ごひいきさんの車だけ、玄関先まで、持って来るの。
イチゲンさん、団体さんのバスは、見送りもしなぃ。

あの中高年ベテランスタッフたちが、出ていかなぃ限り、
あの旅館の体質は、変わらなぃなぁ。
てか、あの状態では、そこまで持たんかな。

不思議な夢。

数日前に見た夢なのですが。

なぜか、ブログを書く、この画面が出てこない。 ナミダ

(いよいよ、Vistaくん、ダメか???)

ひょっとして、これは、書くな!ってコトか? などと思ったり。

今日は、なんだか、書けそ~なので、書け!ってコトか?と思ったり。

2日間、同じ夢を見たのですよ。

 

広い、大きな川の両側に、人がいっぱい、並んで、ナニかを洗ってるようです。

知ってる顔もあれば、まったく知らない人もおり。

なぜか、自分もその中に見えているのです。

(後で気がついたのですが)

どうやら、私は、洗ってる自分と、全体を上から見ている自分がいるようでした。

黙々と、みんな、黙ったままで、洗っています。

でも、イヤイヤでは、なくて、でも、♪ランララ~ンでも、ないのですが。

みんな、同じ、グレーっぽいものを洗ってます。

両手で、大切に洗ってました。

どんどん、洗っていくと、両手で持てるほどの玉が残りました。

その玉もきれいにきれいに洗い流して。

 

川のそばに、大きな木造の建物がありました。

形的には、体育館のような、大きく四角い建物。

その前に、黒い袈裟を着た、お寺さんが一人、立ってました。

玉がきれいになると、みんな、大切そうに、玉を両手に乗せて、

お寺さんに渡しに行くのです。

お寺さんは、「ご苦労さまでした。」と言い。

そのあとに、「続けられますか? おやめになりますか?」と聞きます。

続ける人は、その玉をお寺さんに渡して、新たなグレーのものを預かります。

やめる人は、その建物から離れて行きます。

すると、建物の反対側から、人が一人、出てきます。

で、グレーのものを預かり、川に向かいます。

受け取った玉は、1つずつ、丁寧に三宝に乗せて、

別な人が、建物の中に、運んでいきます。

 

私も、洗い終わった玉をお寺さんに届けました。

私は、そのまま、続けました。

新たに受け取ったグレーっぽいものは、お地蔵様の形をしてました。

両手で受け取って、抱き抱えるほどの大きさ。

不思議と重さは、まったく感じませんでした。

まず、川の中にしばらくつける、細かい泡がブクブクと出てきます。

泡が止まると、両手で少しずつ、洗っていきます。

感触的には、粘土を水につけて洗うととけていく感じ。

 

ここで、画面は、建物の中に移りました。

中は、やはり、体育館のような、だだっ広い場所でした。

玉を乗せた三宝がきれいに、いっぱい、並んでいます。

次の画面は、建物の反対側に。

反対側に戸があるのでしょうか。

大きさも男女もわからないのですが。

黒い人型の影のようなものが、ふわぁ~と出て行くのです。

 

夢は、2日とも、ここで終了。

これが何を言いたいのか、私には、わかりませんが。

お盆が近づいてきて、なんとなく、魂っぽいものなのかな?

とも、思いますが…。

 

ふと、叔父と叔母は、あの家に帰ってくるのかな?と思いました。

大丈夫!

家の中、元のまんまですから… (=ぜんぜん、片付いてない) イインカイ!

叔父の一周忌。

早いもので、も、1年が過ぎました。

昨日、お寺で、一周忌をしてきました。

ホントは、手間をかけたくなかったのかもしれない。

叔父の本意では、なかったのかもしれない。

でも、私の勝手な判断で、叔母のお骨とブレンドしてしまったので、

叔父の一部が、まだ、こちらの世界に残っているし。

「あの日から、1年、過ぎたよ」と伝えようと思いました。

 

お寺の本堂に入ると、なごやかに迎えてくださった、お寺さん。

隅の方のソファで、準備してると、

「いつも、この場所に座って、にこにこしてはったのにねぇ。」

そ、今は、私がいつも、座るこの場所が叔父の定位置だったな。

いつも、返事がワンテンポ、遅れて出てきて。

最低限の言葉で、話す人だった。

叔父の、最初の「う~ん」は、否定なのか、肯定なのか、疑問なのか。

わからなかったっけ。 笑

 

お寺さんの計算間違い?で、来年は、叔父の三回忌だけれど、

叔母の七回忌は、再来年らしい。 

ということで、合同葬に移すことに、時間的猶予ができた。

ま、いつ、移してもいいんだけど。

 

今年の父の日のチョコレート。

グアムのお土産のチョコレートにしたよ。

食べれたかな。

今、アジサイの季節なんだよ。

去年は、自分で見てただろうけど。

今年は、アジサイを供えたよ。 見れた?

お花が大きくてね、頭がたれちゃった。 笑

こちらは、梅雨で、うっとうしいけど。

そちらは、大丈夫だよね?

おばちゃんと、仲良く暮らしてね。

叔父の散骨。

無事に百か日を終え、翌日に、運よく、散骨することができました。

 

子供がなく、ずっと夫婦二人で向かい合って生きてきた叔父と叔母。

でも、それぞれ、実は、最後の希望は、違っていて。

それを話し合う間もなく、叔母が倒れ、意識不明に。

その叔母の看病を1年間する間に、叔父は、なにを考えていたんだろう。

いつから、最後は、散骨で…と考えていたんだろう。

 

「俺らは、後を見る人がおらんから、墓は、いらんぞ。」と叔父。

「私は、実家の墓に入るからね。」と叔母。

そんな叔父に、「墓は、いらんって、じゃあ、どうするん?」と聞いたけど。

「そやなぁ」と、まだ、考えが決まってなかった様子。

 

叔母の後見人になるために、手続きで走り回っていた私を見ていて、

絶対に、迷惑をかけたら、あかん!と思ったのかな。

確かに、意識がなくなってからの、後見人の手続きは、

知らないことづくめで、大変だったけど。

あの時、勉強させてもらったおかげで、今回の相続手続きは、

気持ち的に楽だったのは、事実。

 

叔父は、ホントは、叔母を連れて行きたくて。

叔母は、ホントは、叔父にそばにいてほしくて。

そんな本音も、言う時間がなかったんじゃないのかな。

 

あっけなく逝ってしまった叔父の顔を見ながら、

さて、どうしたものかな、と悩んでいたら…。

二人の最後のお世話をしてくれた、葬儀屋さんのひと言。

「お骨のブレンドしはったら、どうですか?」

えっ? ブレンド??? って、まぜるの?

ロックンローラーみたいな、ファンキーな葬儀屋さん。 笑

にこにこしながら、「ブレンドしましょうよ。」って。

 

宗教上、どうなんか?って、迷いつつ。

ブレンドしました。 笑

 

叔父は、叔母を少しだけ、連れて、希望通りに散骨。

叔母は、叔父を少しだけ、連れて、実家のお墓に。

 

二人とも、安らかに眠ってください。

引き継いだ家、大切に守っていきますから。

見守っていてね。

叔父が亡くなりました。

3年前の春に、一緒に叔母を見送った叔父が亡くなりました。

しかも、私が旅行中に。

最後を看取ってあげることができませんでした。

それだけが、心残り。

 

叔父と叔母には、子供がなく、たぶん、親戚の中では、

私が一番かわいがられてた、と思います。

 

4年前に、叔母が脳こうそくで倒れ、1年間の植物状態のまま、

3年前に亡くなりました。

叔父は、叔母の三回忌を待って、老人ホームに入所しました。

男子、厨房に入らず…という世代の人ですから。

叔母が倒れてからの、3年間、食べるだけでも、大変だったはず。

よく、がんばりました。

そのせいか、ホームの食事がおいしい!と、いつも言ってました。

一国一城の主が集う、老人ホーム。

それなりに?それなり以上に?人間関係は、大変だったようです。

それにも慣れてきて、やっと太ってきた!と言っていたのに。。。

 

海外で単身赴任している知り合いが。

海外にいて、一番つらいのが、身内の不幸。

どんなにがんばっても、間に合わないし、手配もできない。

帰るころには、すべてが終わってると。

 

そう。

子供のころに、父の仕事の関係で、海外にいた時。

やはり、父方のおばあちゃんが危篤になりました。

今のように、たくさん、直行便もなく。

なんとか、乗り継いで、乗り継いで、

一刻でも早く、日本に…。

それでも、間に合いませんでした。

私と妹は、子供だったので、わかりませんが。

両親は、どれほど、無念だったでしょう。

その思いをまた、することになりました。

無念です。

 

叔父は、路上で転んだのですが。

その際、顔面から地面に倒れ、その反動で、逆ムチ打ちのようになり、

脊椎損傷のため、意識不明に。

救急搬送された病院での検査では、もう、わずかしか、

脊椎は、つながっていなかったとか。

その上、全身の血管が動脈硬化気味で、もろかったため。

あちこちで、出血していたようです。

 

帰ってきた日の夜が、お通夜。

昨日が、告別式。

 

年の割に背が高かった叔父も、小さくなってしまいました。

 

最後にそばにいれなくて、ごめんね。

叔母の時にお世話になった、葬儀屋さんの連絡先。

携帯に残していたので、旅先から連絡が取れて、

ちゃんとしてくれたのが、せめてもの救い。

 

最後は、叔父の希望通り、海に散骨します。

 

おっちゃん、安らかにね。

今まで、ありがとう。

 

 

知らなくちゃ、いけないこと。

今回の旅行では、いつもと違う過ごし方をしたい、と思ってました。

そして、出発する前に見つけたのが、真珠湾とアリゾナ記念館と米軍基地ツアー。

普通の島内観光でも、真珠湾とアリゾナ記念館がある公園までは、入っているのですが、もっと詳しく見学しようとすると、そこだけのツアーとなります。

戦艦ミズーリとか、潜水艦ボーフィンは、なかなか他では、見られないところなので、日本人も行く人が多いのか、日本語ツアーがいろいろありますが。

米軍基地を見学となると、なかなか、なかったのです。

そんな中、見つけたこのツアー。

何がネックって…英語ツアーしか、なかったわけです。

どこまで理解できるだろう。

ひょっとしたら、ナショナリズム、ばりばりのアメリカ人ばっかりじゃないのか。

いろいろと考えて、やめようか、やっぱり参加してみようか。

実は、ぎりぎりまで悩んでおりました。

行かなくて後悔するくらいなら、行ってみよう。

ということで、申込ました。

 

ツアー当日は、なんと、朝の5:45のピックアップ。

アリゾナ記念館は、7:30からなのに、それまで、どうするんだ?などと考えながら、待っていると、アメリカ人のガイドさんがやってきました。

え~と、まったく日本語は、通じません。 トホホ

同じホテルから、アメリカ人の熟年夫婦が1組と、熟年男性が1人。

結局は、17人のアメリカ人と私たち、2人の日本人でした。

 

まずは、ウィラー陸軍航空基地へ。

朝の国旗掲揚の式を見学させてもらいました。

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とっても静かな中で、厳粛に行われます。

1つ1つの動作が、なんか美しいのです。

この広場の前に、見学者用のホールがあります。

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これは、入り口のタイルの模様?

ドアの真ん前にあるのですが、意味を聞くと、絶対に踏めません。

7つの星は、方向を示す北斗七星。

1つの星は、日本を指すそうです。

(すみません、英語力不足で、4つの星の意味は、わからず。トホホ)

★が全部で、12個。

ということで。

12月7日、矢印方向の国を忘れるなよ!ってことらしいです。

 

この後、アリゾナ記念館に向かいました。

記念館は、海に沈んだアリゾナをまたぐように、海の中に建っています。

まずは、30分ごとにある、第二次世界大戦の映画を20分、見ます。

それから、船に乗り込み、記念館まで行きます。

先に行った人を乗せて、船は、戻ります。

そして、また、次に映画を見た人を乗せて、戻ってきます。

これに乗って、私たちは、戻るのです。

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白いのが記念館。その下に見えるのが、アリゾナです。

記念館の一番奥には、乗組員名簿が刻まれています。

1177名のうち、1102名が亡くなったそうです。

遺体は、アリゾナの中に眠っているそうです。

今もなお、油が流れ出しており、海面に油の輪ができています。

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見えるでしょうか。 アリゾナの涙…と呼ばれているそうです。

ここで、自由時間が割とゆっくりあったので、

オーディオセットで日本語の案内を聞きながら、

あちこち、回りました。

 

その後、スコーフィールド兵営へ。

こちらでは、見学と将校クラブでの昼食です。

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これは、実際に第二次世界大戦で使用されたそうですが。

当時、こんな武器を使っていたなんて…日本は、勝てないなと痛感。

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ちょっと写真が小さくて、見にくいのですが。

戦死した戦友に最後のあいさつをしている兵士の銅像です。

よく映画とかで見るように、墓標の代わりに、その人の銃を立て、ヘルメットをかけるそうです。

で、その銃のアップですが。

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その後、今に至るまでの戦争で亡くなった人のIDタグの実物がいくつか、かけてありました。

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こちらは、ランチを食べた、基地内のブッフェ。

周りは、迷彩服を着た兵士ばかりで、ちょっと落ち着かない?

でも、おいしかったです。

 

帰りは、2時過ぎにホテルまで送ってくれました。

が、なかなか中身の濃い時間でした。

参加して、本当によかったと思います。

もう一度、英語力を鍛えてから、参加してみたいと思いました。

ハワイというと、リゾート地で、やれ、ショッピングだの、やれ、有名?レストランめぐりだの、みなさん、お忙しいのでしょうが、ぜひ一度は、参加したいツアーだと思いました。

 まず、びっくりしたのは、見学する日本人の少なさです。

記念館にも、ほとんど日本人がいませんでした。

ひょっとすると、もっと後の時間帯なら、来る人がいるのでしょうか。

これは、決して繰り返しては、いけない戦争の爪痕ですが。

絶対に知らなければいけないことだとも思いました。

アメリカ人の参加者も、決して、戦争体験者が多いわけでは、なく。

若いカップル、子供連れの家族、など老若男女。

 

それにしても、もっと英語を勉強しなくちゃ…だな。いつになるやら。。。