敬老の日。

今日は、台風一過の敬老の日

 

昨日、妹のメールによると…。

自宅の人は、マイペースで、元気にしてる様子。

何よりでございますね。

「あんたの世話になんか、ならない!」と宣言したので。

一人で、がんばるしか、ないんだけど。

その方がかえって、いいのかも、ね。

 

来月は、自宅の人の誕生日がある。

 

今までは、敬老の日も、誕生日も、食べたいものを食べるために、

行きたいレストランにお連れしたものですが。

後で、必ず、不満の言葉が出てましたよね。

「もっとおいしいとこがあったんじゃないの?」

いやいや。

あなたが、ここに行きたい、ここがいい、と言ったのでしょう?

「そう? そんなこと、言ったかしら。」

別に感謝してもらおうと一度も思ったことないけど。

いつも、一人になると、空しくなっていた。

 

今年は、連絡を取らずに、敬老の日が過ぎました。

今の気持ち的には、来月のお誕生日も。

 

おかげで、私は、少し深呼吸ができるようになりました。

 

「鬼!」

そうかもね。

でも、あなたは、「鬼の親」。

夏になると思い出すこと。

人より、少し「霊感」と言うか。

感じるものがある気がする。

 

もうずいぶん前に、車でも電車でも、半時間ほどのところに、

遊園地と動物園が一緒になったものがあった。

今は、商業施設やら、ジムやら、できている。

遊園地の乗り物は、大したもの、なくて。

小学生くらいまでの子供に、ちょうどいいようなものが多かった。

それでも、近かったし、しかも、夕方から入場すると、半額になったりで、

けっこう、よく行った。

特に夏は、9時までやっていたので、ちょっとでも涼しくなってから、

と、本当によく行った。

 

比較的空いてる駐車場があって、いつも、そこに車を停めていた。

その出入り口のそばにある乗り物。

ビニール製のプール状の船に乗り、滝すべりをする。

も、びしょぬれ。

びしょぬれになるから、いつも、その乗り物は、一番最後。

 親戚の子供たちが納得するまで、乗っては、降りを繰り返す。

それを見ながら、いつも待つベンチがあった。

ベンチの向かいには、トイレ。

子供たちが遊んでる間に、大人は、交代で、トイレに。

 

私が行くときに、すれ違った母子がいる。

30代くらいのお母さんと、小学校低学年くらいの女の子。

初めて、出会ったときは、特に気にもしていなかった。

いつごろから、気になったのかも、覚えていない。

数年、経った頃に、ふと、気が付いた。

あれ、この親子、去年も出会った気がするなぁ。

記憶に残ったのは、親子の服装。

暑い夏なのに、きちっとしたワンピースを着てる。

色も柄も、今でも覚えてる。

気になり始めたころ、思い切って、声かけてみようかと、

すれ違ってすぐに、振り向いた。

そこには、誰もいない。

でも、すれ違ったときの風を、私は、感じていた。

ふと、この親子って、この世の人じゃないのかもしれない。

そう、思った。

不思議と、ぜんぜん、怖くなかった。

また、会えるかな。

そんな風にさえ、思った。

そう、思い始めてからも、数回、すれ違った。

すると、すれ違ったときの風が、ひんやりしてることに気が付いた。

やっぱり、この世の人じゃない。

何か、ここに思い出がある人たちなんだ。

 

それから、ずいぶんして、遊園地が閉鎖されることになった。

最後の夏にも行った。

その親子に教えてあげたかった。

私がトイレに向かうと、トイレが出てくる親子。

「ここも、もう、閉鎖ですね。」

最初で、最後に声をかけた。

返事は、なかった。

ただ。

いつもは、すれ違うのに、この時は、親子が私の中をふわぁ~と通り抜けた気がした。

怖くも、なんともなかった。

 

それから、しばらくして、遊園地は、なくなり、壊され、新しい建物ができた。

それでも、夏になると、必ず、この親子のことを思い出す。

なんとなく。

なんとなく、納得がいかないので、書き留めておこうかと。

 

先週、妹が2回も、自宅の人のとこに行ってくれた。

それには、感謝する。

 

玄関の鍵を、遅ればせながら。

とはいえ。

型番が古く、しかも、古い型しか、合わなかったので、遅れたのは、私のせい…じゃないよね。

でも、自宅の人は、私が遅らせた!と思ってる様子。

ま、も、どうでもいいのだけど。

数年前にケアマネに要請?されて、

メーターボックスに、鍵を隠してある。

今回、鍵を取り換えるにあたって、どうやって、鍵を入れ替えようか?

それは、悩んだわけです。

幸い、鍵屋さんが、すごくいい人で。

とっても若いお兄さんだったけど。

「うちのかあちゃんも、じいちゃんのことで、大変だって言ってた。」

と、めっちゃ理解してくれて、協力してくれた。

ので、無事に、鍵の入れ替えもできた。

 

自宅の人は、たぶん、私には、鍵を渡したくないだろうと思ってた。

それは、それで、よかった。

どうしても、部屋に入らないといけないときは、

隠してある鍵を使えばいいと思っていたから。

そしたら。。。

妹に鍵を託してきた。

それが、自宅の人の歩み寄りのつもりなんだろうか。

持ってきた妹が、やたら、仲直りを勧める。

話を聞いてると…。

単に自分一人にかかってる負担をなくしたい、だけみたいだけど。

 

しかし、妹よ。

あんたがな~にも協力してくれなかったこの10年間。

まだ、1か月半しか、一人でやってないじゃん?

せめて、これからは、頑張っていただかないと。

 

で、納得できないのは、「仲直り」という言葉。

だって、私、ケンカしてない。

誰とも、ケンカしてない。

私は、いつも通り、自分のできることをやってきた。

それに対して、勝手にブチ切れたわけだから。

ケンカ…では、ないと思うの。

ましてや。

「仲直り」という精神状態では、ないのだよ。

 

頼れない!

頼ってたまるか!!

そう思って、気が張って、頑張れるのなら、それでいいと思うの。

もう、二度と、どんな施設にも、入らないだろうから。

自分が望むように、生きてもらえば、それでいい。

普通のタクシーに乗るのが、しんどくなったら、

介護タクシーもあるじゃない。

 

と、まだ、静観の構えでありまする。

 

 

 

私らしく、生きる!

老健の人が、自宅の人になって、早や、1ヶ月。

退所したときの体調、心調を考えると、自宅では、1ヶ月が限界かも?と思っていた。

最初は、私への拒絶、反発と、言い出した意地で、気が張り詰めているだろうから、

それなりに頑張るだろうとは、思っていた。

でも、そこへ、疲れがだんだんとたまり、体も心も悲鳴を上げるかも…と。

 

1ヶ月、過ぎて。

結局、会ってないので、状況は、見えてこないけど。

なんとか、やっているようです。

 

まったく接触がなかったのか?と言うと。

実は、3回、電話がありました。

ただし、会話としては、成り立っていないと思っています。

 

1度目は、ガスコンロの警報が止まない、と、深夜に電話。

元栓は、閉めたけど、それでも、ずっと警報が鳴っている。

「あんた、10万も使ったくせに、どうせ、ホームセンターで、安物のコンロを

買ってきたんでしょう。」

「残っていた書類の会社に電話したけど、誰も出ない。」

そりゃ、そうですよ。

こんな深夜に、誰が店にいます?と言ったけど、聞いてない。

ガスコンロ本体に、緊急時用の連絡先シールが貼ってあるので…

の途中で、一方的に電話を切られた。

 

2度目は、今まで預かっていた支払い後の残金を、妹から返してもらおうと渡した日の翌日。

「昨日、受け取ったお金の入った袋、見つからないんですけど。」

いや、それは、知りません。

私、そちらに行ってないので… の途中で、一方的に切られた。

 

そして、3度目は、昨日の深夜。

「また、ガスコンロの警報が、夕方からずっと鳴ってる。」

「この間も鳴って、今日も鳴って。きっと乾電池がないんじゃないの?」

「10万もするガスコンロに、使い古しの乾電池を入れたの?」

使い古しの乾電池を入れた覚えは、ありません。

まだ、1ヶ月も経ってないのに、乾電池切れは、考えられません。

乾電池が、仮に切れても、警報が鳴るとは、思えません。

もう一度、本体の緊急時用の番号に電話をしてください。

「え?こんな時間に、また、私が電話するの?」

なぜ、夕方に鳴り始めたときに電話しなかった… で、また、切られた。

 

今朝、妹にメール。

妹が電話してくれたら、ガス会社から、説明に来てくれる、とか。

その後、また、妹からメール。

 

なんと…。

ガスは、着火できるのに、消し方がわからない?

わからないから、火を小さくしてから、口で吹いて消してた???

すごい発想だ。

そりゃ、ガス漏れ警報、鳴り続けるわ。

明日、妹がのぞいてくれて、もう一度、使い方の説明をするそうです。

 

今まで、当たり前にできていたことが、1つ、抜け、1つ、抜け。

でも、本人は、かたくなに、今まで、できていたことは、今でもできる!

と、自分を過信してる。

できない自分を認めたくないんだろうな。

 

やっぱり、私…。

かわいいBBAになりたい。

そのためにも、この機会に、自分としっかりと向かい合って、生きていこう。

せっかく、自分の時間が持てるようになったんだし。

私らしく、生きることは、私自身と向き合うことなんだと思う。

 

 

 

母のこと。

それぞれの親子関係があって、それでいいのだと思う。

 

うちの母は、自分の考えこそ、世の中の正論で、常に常識的だと信じている。

それは、私の母になる以前から、そうなんだろうと思う。

人に意見を求めるときもあるけど。

それが自分のと違う場合には、思いっきり、疑い深い表情と言葉で対応する。

結果、それには、従わない。

たまに、(珍しいけど)人の意見に従って、自分の思い通りにならないときは、

絶対に誰かに責任転嫁をする。

今まで何度も意見を求められ、答えた結果、うまくいった場合は、いつの間にか、

最初から、自分の意見だったように、ふるまう。

もし、うまくいかなかった場合は、事あるごとに、何度も責められる。

私は、いつのころからか、自分の意見を言わなくなった。

すると、それは、それで、真剣に考えてないからだ!と決めつけられ、責められる。

 

思えば・・・

子供のころ、怒られたときに、決して、逃げ道は、残さない。

追い詰めて、追い詰めて、自分の意見を飲ませようとした。

子供に、なぜ、そうしたのか?などとは、聞かない。

聞かれたことがない。

追い詰められた状況から、逃げるには、母の意見を認めるしか、なかった。

自分で考えて導いた結果では、ないから、納得なぞ、していない。

 

父は、私が就職した年に亡くなった。

明るくて、朗らかで、細かいことは、言わない人だった。

仕事人間で、家庭のこと、子育てのことは、まかせっきりだった。

特に、男の子がほしかったので、よけいに子育てには、参加しなかったのかも。

息子がいたら、夢があったんだろうと思う。

父という、つっかえ棒がなくなって、母は、余計に突っ走った。

年とともに、自分の意見が通らないと、通るまで、食い下がる。

根負けした私たちが悪いのだが。

なんでも、自分の思い通りになる、と、思っている。

自分の意見を通すためには、驚くほどのエネルギーを使う。

徹底的に反対意見を批判し、何度も何度も自分の意見を通そうとする。

軽い認知症が入ってからは、悪態をつく、暴言を吐くようになった。

昔から、よく手をあげられていた妹は、ひと様に手をあげないか、不安だったそうな。

(妹は、よく、母に逆らっていたし。)

だから、老健の人から、自宅の人にした方がいい!と主張したのは、妹だった。

 

人は、誰でも、年を取ると、一人では、生きていけない。

年を取らなくても、人は、人の中で、誰かにいつも支えられて生きてると、私は、思っている。

年とともに、より人とのかかわりが必要になり、誰かに助けてもらわねば、いけないと思う。

そんな中で、自分の考えだけでは、なくて、人の意見も聞く心がないと、支えては、もらえないと思う。

でも、母は、変わらないだろう。

最後まで、このままだろう。

 

今回、初めて、「老健の人」になって、自分の思い通りにならない生活を5か月。

母には、限界だったろう。

退所前の1ヶ月は、大変だった。

その結果、私は、母との関係を修復できない状態にまでなってしまった。

介護サービスの中で、自宅の人になってもらう。

本人も、「あんたになんか、しがみつかない!」

「私は、なんでも、自分でできるんだから!」

 

昨日、午後に自宅の人になり、妹夫婦が、夜までつきあってくれた。

でも、電話もない。

私から電話すればいい?

いや、もう、そんな気持ちにもなれない。

明日から、ヘルパーが来てくれる。

なんとか、週3日、頼めた。

7日間のうちの、たったの3日間。しかも、1回70分。

でも、それに助けてもらうしかない。

母が私を受け入れられないのと同時に、私も母をもう、受け入れられない。

 

自分の気持ちを整理するために書きました。

もし、見つけられたら、どうぞ、読み流してくださいませ。

 

 

 

ひとりごと。

今回の上京で、迷っていた鎌倉行き。

結局、父に呼ばれた気がして、行ってきました。

 

父方の祖母が亡くなったときに、祖父が決めた霊園。

当時は、公園墓地の最先端だったそうな。

新しモノ好きで、目立ちがり屋だった祖父らしい。

親不孝モンの父は、母親の次に、父親より先に入ってしまった。

その後、祖父もそこへ。

 

父には、妹が一人。

 

祖父が買った墓地だから、管理人は、祖父。

その祖父が亡くなったときに、ふと思った。

長男の長女だから、ワタシが管理すべき?って。

でも、関西に住んでいて。

管理など、できるだろうか?

お墓の移転も考えた。

でも、父は、ワタシの父だけど。

祖父母は、従兄たちにとっても、祖父母。

仮に、管理人になったとしても、無断では、移転できない。

そのうち、母の体調不良が始まり。

 

そんなときに、父方の従兄の一人から封書が届いた。

「父が(ワタシには、叔父。叔母の連れ合い。父の義弟。)亡くなりました。」

「今後、自分が、霊園の管理人となります。」

「つきましては、鎌倉の墓地を、連名とし、墓石を書き替えます。」

 

ん? どういうことだ?

要するに。 たぶん、想像だけど。

都内に住んでたはずなんだけど。

いつか、某国営放送でやってたけど、都内で、お墓を見つけるのって、大変なんでしょう?

ま、お金持ちは、心配ないんだろうけど。

墓石を書き替えて、連名にする?

って、自分チのお墓にも、しちゃうってことよね?

それが、一番簡単で安上がりだよね。

しかも、今後、誰も、この墓には、入れないぞ!宣言なんだ。

 

これが、2年前の話。

父方の叔父は、ワタシのはてなによく出てくる?叔父と1週間違いで、亡くなったらしい。

どこに納骨しよう?で、鎌倉に手を加えて、納骨することにした様子。

 

毎年、鎌倉に行ってけど、この2年間は、行ってなかった。

でも、今年、行ってきた。

いつもは、お参りしたら、帰るけど。

今回は、なんとなく、墓石の裏の名前を見た。

というか。

見るように、勧められた気がした。

 

なんと、そこには、叔母の名前。

去年、亡くなった様子。

 

そか。

これで、父の一家がそろったんだ。

一人、違う人がいるけどね。

しかも、従兄が、墓守りしてくれる。

 

これで、よかったんだよね。

また、会いに来るね。

 

ずっと複雑な気持ちだったけど。

も、いいや。

 

ひとりごと。

久々の金縛り。 ナミダ

少なくとも、この1,2年は、なかったはず。

元は、仏教用語らしぃのですが。

それに、科学的な説明もできていて。

決して、霊的なコトでは、なぃよ~ですが。

 

なんとなく、人は、あまり感じなぃ気配とか。

声?とか、人影?とか、視線?とか。

そぅいぅモノを、今より、もっと感じてた時は。

今より、もっともっと、金縛りに遭ってたよ~な。

 

夢を見ているときに、金縛りに遭ったのですが。

真っ白な四角い、窓のない部屋。

ドアだけ、1つ、ありました。

壁沿いに、白い四角い台があって、そこに母が寝ていました。

ベッドだったのかな。

かけ布団だけ、かけていたよ~な。

ワタシは、部屋の中央の床に寝ていました。

敷き布団だけで、何もかけていなかった。

真っ白な壁に、バラの花だけ、壁にリースのよ~に飾ってありました。

5色のバラの鮮やかだったコト。

照明があったのか、ど~か、覚えていなぃのですが。

金縛りと同時に、部屋の中が点滅して。

明るくなるたびに、バラの花が1つずつ、枯れて、濃ぃグレーになっていく。

最後のバラがグレーになったとき、息ができなくて、死ぬ!と思ぃました。

その時に、ドアが開いて…。

わぁ~と大声で叫んだよ~な。

で、目が覚めました。

ところが、何度も繰り返すわけですよ。

何度もね。

声がガラガラになって、必死で立ち上がりました。

ホントは、もっと眠かったんだけど。

寝るのが、怖かった。

 

まだ、隣の市に、動物園と一緒になった遊園地があったころ。

夏は、夕方から行くと、入場料が半額になってました。

よく行きました。

いつも、最後に乗る乗り物があって。

しかも、も、終わりだから、って、スタッフさんが、何度でも乗せてくれた。

乗り疲れて、いつも、決まって座るベンチがあって。

ソコで、毎年一度は、必ず出会ぅ親子がいました。

若ぃお母さんと、小学校低学年くらぃの女の子。

でも、たぶん、ほかの人には、見えてなかったんだと思ぅ。

いつも、同じ場所から歩いてくる親子。

通り過ぎるときに、風を感じるんだけど。

振り返ると、誰もいなぃ。

今でも、親子が着ていた服装を覚えている。

あの遊園地は、とっくになくなってしまったけど。

あの親子は、どうしてるんだろ?

あの親子に、出会ってた頃は、もっと金縛りに遭ってた。

 

ちなみに。

今でも、納骨堂は、苦手。 

静かなはずの納骨堂なのに、たくさんの声がワンワン聞こえる。

後ろから肩やら腕をつかまれるような感覚。

いまだに、入れません。

 

今夜は、何も起こりませんよ~に。